私は現在29歳になります。
10年以上も前、私が小学生の頃、私の両親は教員をしているのですが、
よく障害者施設に出入りしてはそこのお手伝いをしていました。
基本的には私の両親がメインでその補助的な感じで私がしていました。
と言っても私は小学生でしたし、体も小さく、力もなかったので
本当に車いすを押すくらいのことしかできませんでした。
現在でこそ福祉の環境などもだいぶ進歩してきて充実してきましたが、昔はそれほどではなかったと思います。
もちろん今現在に比べると、と言う話で、完全になにもないというわけではありませんでした。
ではボランティアとして両親がどの様なお手伝いをしていたのかと言いますと、
ある障害者施設で働いている人の送り迎えであったり、日常生活のお世話をしていました。
私はその傍らで小学生に出来ることでお手伝いをしていました。
と言ってもそんな大それたことではありません。
小学生の小さな少年の興味本位のお手伝い、と言った感じでした。
そんなこんなでお手伝いをしていました。
しかし、その当時母親が書いた、私が車いすを押している絵がなんかに選ばれ、
使われたことは今でも覚えています。
具体的な内容までは覚えていませんが、とりあえず表彰されたことは覚えています。
その当時はそんなに障害のことについてなど深く考えてはいなかったと思います。
両親ともに日常の中で、そのボランティアを行っていましたので、
私の中でもある意味当たり前のことだと思っていました。
だから深く考えることはあまりなかったと思います。
しかし、私が小学校の4年生の頃、私に妹ができ、しかも障害を持って産まれてきました。
それからいろいろと考えるようになったのは今でも記憶しています。
その当時どこまで考えていたかは定かではありませんが、
現在に至るまではだいぶ障害と言う言葉に対して敏感になったと思います。
やはり今までは自分や自分の家族ではない、
まぁ言うなれば他人のお世話というところだった部分から実際に180度変わったと思っています。
障害つまりハンディキャップというのは、みんなにあるものだと思います。
彼らの場合はそんな普通の人よりそれが少し目立っているだけなんだと思います。
現在オリンピック終了後にパラリンピックも行われます。
つまりは現在の社会はハンディキャップのある方々ときちんと共存する形を作っているのです。
たしかに一筋縄ではいかないことが多々あります。
そんな中でも自分なりに出来ることを確認して、
頑張っていくことが重要なのではないかなと勝手に思ってはいます。