私の祖母は今、足が動きません。
ある日いつもの散歩道を歩いていたら車と接触事故を起こし、
命こそ助かったものの自分の足で立ち上がることが出来ない体になりました。
事故が起こった当時は私も家族もみんな大慌ててで、
祖母が退院できる日までできるだけ多くお見舞いに行ったことを覚えています。
元々、体を動かすことが好きで近くの大きな体育館や公園に度々出かけていた祖母は
足が動かなくなったことにショックを受けていたようでしたが、
足が動かなくなってからというもの本を読む時間が増えたと言っていました。
ジャンルはあまり拘っていないようで時代小説やミステリー、エッセイや詩集など幅広く読むそうです。
運動の代わりになる趣味を祖母が見つけてくれたこと自体は私にとっても嬉しいことなのですが、
祖母が元気に動く姿が見れなくなったのはやはり寂しいと今でも感じています。
そんな祖母ですが足が動かない以上はどうしたって日々の生活の中で
誰かの力を借りないと困る場面というものが出てきているそうです。
高いところにある本を取ることや階段を上ること、
トイレに行くのも立てない祖母一人ではなかなか大変なことだそうです。
一緒に生活している祖父が手伝える時はできるだけ手伝っているそうですが、
1日中付きっ切りというわけにもいかないため
デイサービスを週に3日ほどお願いしているのが現状だそうです。
祖母の要介護度的にデイサービスにかかる費用はそこそこ高い金額らしく、
年金で生活している祖父母達にとっては少し厳しい出費になっているそうです。
高齢且つ障害を持つ人々は厳しい生活を強いられるのが今の日本なのかと思ったときに、
そんな国の在り方ってどうなのという風にふと思いました。
それが私が高校の頃で自分の進路を決めるきっかけにもなった出来事です。
今の高齢者介護の在り方は
多くのサービスが必要な人から多くのサービス料を集めるという
一見、合理的な仕組みになっていますが
よく考えてみるとサービスが多く必要な人が
どうやってサービス料を支払っていくのかという問題が浮上してきます。
年金を使えばよいという人もいるかもしれませんが、
トイレに行くことすら誰かの力を借りなければならない人が必要とするサービスの量は
とても年金だけでどうにかなる金額ではないということを私は学校で学びました。
今の日本は少子高齢化のため若者世代の負担も増えているのに
介護が必要な人の負担も増えていくという悪循環が起こりそうになっている。
この悪循環をどうにかするための方法を
国はもっと真剣に考えるべきではないかと私は思うようになりました。