私が彼女を分かりきれなかったこと

私が生まれて初めて障害者という人たちがいると知ったのは、

小学生の3年生に上がった時のことでした。

 

彼女は両足が不自由で常に車椅子で生活をしている子でした。

彼女が入学するのに合わせてか、学校の昇降口付近は階段からスロープに変わりました。

教師たちは生徒たち全員に彼女はこういう体だからみんなで助け合ってほしい

というような旨をことあるごとに言っていたことを覚えています。

 

彼女の母親は休み時間になると体育館に来て彼女と遊んでいました。

車椅子の彼女には休み時間に同じ学年の友達と体を動かして遊ぶということができません。

小学生には休み時間を遊んで過ごすことが出来ないのは大人になると想像が難しいですが、

なかなか苦しいことなのでしょう。

 

少なくとも彼女の母親は苦心していたようです。

わが娘ながらも時折、苛立っている表情をしていたことを思い出します。

 

ある日のこと、私は同じ学年の友達と一緒に体育館で遊んでいました。

バレーボールくらいの大きさのゴムボールを使って、彼女は母親と遊んでいました。

彼女は母親から投げられたボールを受け取り損ね、そのボールはどんどん離れていきました。

 

車椅子の彼女は簡単にボールに追いつけるわけではありません。

やがてゆっくりと私の方にボールは向かってきました。

当然私はこんなことを考えます。

「あの子はボールを落としてしまった。あの子は簡単に拾うことが出来ない。

そういえば先生たちは普段から助け合うように僕たちに言っていたし、拾ってあげないと」。

私は彼女の車椅子付近にボールを転がすように投げました。

 

彼女の反応は私の想像したものとは違いました。

「あっ・・・。もういい!」

と車椅子を180度回転させ、母親のもとに急いで戻っていきました。

私の意図に気づいていた母親は、

「ちょっと・・・なんでそんなこと言うの!」

と彼女をたしなめようとしていましたが

それにも構わず車椅子の車輪を回して遠くに離れていきました。

 

私は健常者です。

なので、この時に彼女の中で起きたことは想像するしかありません。

彼女は他人に助けられることでより自分と他者との違いを

より明確に感じたのではないかと思います。

 

こうしたことは休み時間の中だけでなく、教室でも起きていたようで、

同じ学年の生徒たちは彼女へのいら立ちを隠さないこともありました。

障害者の立場に立った物事を考えようというようなことが時折メディア等で取りざたされますが、

こうしたシンプルなはずのことでさえも現実の我々は戸惑っています。

 

今この時でさえも私はあの時と同じことがあったらどうすればいいのか分かりません。

障害者に対する支援はどのようなものであるべきかというテーマがある時には、

必ずQOLといった単語がその文脈に組み込まれることになります。

しかし、私はさらに単純な目の前で今正に起きていることさえにも混乱しています。

 

社会に出てから彼女にたまたま会う機会がありました。

この時の彼女はかつての蔭を感じさせない笑顔をその時は私に見せてくれました。

あの出来事からそれまでにどんなこと人生を歩んできたのかは私は想像することが出来ません。

 

我々健常者と彼女たち障害者が出会うとき、

そこにはその出会いの数だけの困難と誤解と対処があることでしょう。

中途半端なズレを正したり正せなかったりしつつ

共存の日々は続いてきたし、続いていくのでしょう。



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