身体障害者になるまでの経緯

人生の中途で身体障害者となった経験をしております。

わたくしの場合は、身体の中にチタンを埋め込めることで身体障害者となりました。

まさか自分がこんな障害をもつようには思ってもみなかったのです。

 

大きな精神的なストレスを感じて、自分の身体をあまりうごかせない状態の日々が続き、

そんなこともあり背骨が歪む事となりました。

幼い頃から背骨の歪みがあって、その上に大きなストレスが掛かり

酷い歪みのある身体となったのかもしれないのです。

 

手術に至るまでには、症状がでるころからかなりの痛みや辛さのある身体となっていました。

その上我慢ができない毎日でしたから、もう手術以外には方法はなかったのです。

 

私の身体の痛みを軽くしてくださる何件もの病院を探したのです。

診たては同じですけれども、私の身体に対しての良い方法はそれぞれの病院で違っていました。

結局背骨の名医となる、多くの背骨の手術を行う県外の病院に私は決めました。

 

その頃は私はパソコンの操作などできなくて、本屋さんで私にあった病院を探すことなどもしました。

私は辛い神経症状を我慢しながら、探し回りました。

愛媛県から東京や九州まで探し続けたのです。

 

地元の愛媛には、病状が悪く今にも死にそうな母親を病院に残して手術をして頂きに行きました。

その様な大切な母を残して、決断した手術に行く位ですから今考えてもかなりの身体の悪さがあったのです。

でも名古屋の病院に電車が着くころには、母は亡くなってしまいました。

また地元へと帰り母のお葬式を行う事になりました。

 

この様な経緯があり、後にやっと手術となりました。

身体障害者の手帳は、手術を行う前に頂いた記憶があります。

「いつこの手帳をお返しするのですか」と病院にお伺いしましたら、

「この先ずっと持つのですよ」と教えて下さいました。

でも身体障害者の手帳をこの先も持つと言う事は、

チタンを背骨に入れ込むことで困難さがあるのだと感じました。

 

手術をしてからは、困難な辛さの神経症状はなくなってとても有り難いのです。

でもチタンで背骨の歪みを立て直していることで、毎日上手く生活が出来る工夫はいるのです。

身体に無理がきかないことや、少し重みがある荷物など不自由さを感じることなどあります。

 

でも現在は手術を行い4年目となりますが、身体の内臓などは元気です。

身体障害者となった自分の身体の使いかたは、自分が一番理解できるものかとも思うのです。

年に一度の健診があるのですが、毎年「〇〇さんとても状態がいいですよ」と先生が言われます。

私はいつも先生に、「内臓は元気なのですが、背骨のチタンと付き合う事が大変です」と言うのです。



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