僕は身体に障害がある高等部3年生です。
生まれたころから脳性麻痺で自分自身で移動や移乗はできません。
身体を自身で動かせないでいましたが、
幼稚園、小学校、中学校と地域の学校へすすみ、
同年代の子となるべく同じように学習させてもらいました。
けれどももちろん同じようにできないことはありました。
分かりやすく、特別に問題を作ってもらったり別で時間をもうけてもらったりと、
自身の課題と向き合いつつ、同世代のお友達と過ごしそれはもう楽しかったです。
自分自身の身体のことや将来のことを考えると葛藤がなかったと言ったら嘘になりますが、
僕はみんなと一緒に過ごしたかったし、これからも繋がっていたいと思っていました。
でも高校の進学となると学力もいるし、それなりに自立も必要となってきます。
僕は移動や移乗もできないのでトイレ介助も必要となってきます。
でも高校生にもなって両親が付き添うというのもかなり抵抗がでてきました。
なので僕は悩んで悩んで悩んだあげく、地域の養護学校へ進みました。
閉鎖的に思えた養護学校でしたが、
同じように葛藤を抱えている障害を持っているお友達と本音で付き合うことが出来たし、
スモールステップかもしれませんが自身の課題としっかりと向き合うことができました。
そんな僕もあっという間に高等部の3年となり、いよいよ進路が身近になってきました。
進路といってもなかなか希望どうりというわけといきません。
トイレも人の手を借りないといけないし、食事もセッティングが必要です。
生活介護という枠での居場所。
福祉の制度で居場所を作ってもらっているのはわかります。
20歳を過ぎたら生活保護の制度を利用し
重度の障害者でも1人暮らしやグループホームに入ることも可能とのこと。
でも制度の加減、働くことは厳しいとのこと。
親もとを離れての自立もしたいし、働きたい。
何のために働くのか?
生活の為、制度の中で生活できたらそれはそれでいいのだろうか?
やりがいの為?
両親や周りの大人は仕事としての収入ではなくっても
人との繋がりや自分の居場所づくりなど大切なものはたくさんあるよと意見してくれます。
でも同世代のお友達と同じように大人になったら働いて収入を得たい。
自身だけで出来ることなんてしれているので難しいだろうけど。。。
生活保護の制度があるなら形を変えて賃金として手にしたいと思うのは、
実戦で戦力にならない僕にとっては何も声にできないものなのだろうか?
身体に障害があっても想いはみんなと一緒。
頑張りたいしやりがいを得ていきたいって思ってるんです。