アテトーゼ型重度脳性マヒの私の半生

私は生まれつき重度の脳性マヒです。

脳性マヒには色々な型がありますが、

私はアテドーゼ型というもので脳の神経の中の運動機能を司る部分が欠損している状態です。

 

脳性マヒは知的障害を合併している人と合併していない人がいますが、私は合併していません。

脳性マヒは常に体の筋緊張があり、また付随運動が働くので、

例えば(飲み物の入ったコップが近くにあるから手が上がってこぼさないように)

と意識をした途端に逆の動きいわゆる手がポンとと上に上がり飲み物をこぼしてしまいます。

意識をすると逆の動きになってしまうのが特徴です。

 

言語障害も伴っているので顔面がゆがみ、呼吸も普通に出来ないので引き気味にしゃべります、

常に筋緊張で体を酷使しているため、大人になってから頚椎症などの二次障害が問題になっています。

発症は人それぞれですが30後半~50代がおおよその目安です。

生まれつきの障害なので、身体障害者手帳や障害基礎年金などの申請の多くは親が済ませてくれています。

 

私は物心ついた頃から一人前に働いてお金を稼ぐという目標があり、

少しでも就職可能な全寮制の養護高等学校に進学しました。

中でも上半身は一番の重度障害でしたが、進路の先生をはじめ諸先生方のおかげで

企業の正社員として採用されました。

そして12年間勤め、二次障害のことを考慮し退職しました。

 

退職後は障害者学を学びたいと思い障害当事者団体の組織に行く日が続きましたが、

反社会的な理念に納得できずすぐに止めました。

それからの私は、個人で生きていくことを模索しながら、今の主人と出逢い、結婚に至りました。

 

女性としては最大の目標と思うのですが私も、子供を産み育てることが夢であったけれど

実際、妊娠した時は嬉しいというより不安の方が大きかったのです。

薬を服用していたので、普通の産婦人科より総合病院での産婦人の方が様々な対応をしてくれると思いました。

そこは脳性マヒの出産例はなかったので、医師や助産婦さんがチームとなり色々調べてくれました。

筋緊張、つわり、便秘と、とても苦しい経験をしながらも。

乗り越えられたのは様々な人のおかげと今でも胸を熱くさせる思いです。

 

足は広げられるので普通分娩でも大丈夫とのことでしたが、破水して3日間の陣痛促進剤を投与しました。

しかし子宮口は開かず、帝王切開に切り替えての出産でした。

産まれてすぐの娘は小柄ながらも元気で、号泣しました。

何をするのも、主人やヘルパーさんの手を必要とするので、

喪失感や自信がなくなったこともありますが、

皆さんに支えられ助けてもらいながら、今年で5才になる娘です。



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アテトーゼ型重度脳性マヒの私の半生 への1件のコメント

  1. 喜田ゆかり

    はじめて読ませていただきました。

    32歳女性です

    鍼灸の国家試験の勉強中に
    調べ物をしている中で発見させていただき、
    読ませていただきました。

    苦労され、困難の中で
    ひたむきに努力される筆者様の生き方に
    胸がささる気持ちで読ませていただきました。

    素敵なお嬢さんも筆者様も
    より健やかで素晴らしい人生でありますよう
    願っております

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