私の友人には脳性、身体麻痺の大学生がいます。
指もひと指し指一本でタイピングするのがやっとで、
テキストファイルやメールでしか書面のやりとりができません。
文字をかこうにも情報伝達がうまくいかないのかかがみ文字になるひらがなも存在します。
しかし彼女は3年制の学校で健常者と同じ内容の授業をうけ、センター試験を受験し、
現在は一般大学でほとんど健常者と同じ条件で講義をうけています。
彼女とは高校で知り合い、趣味が同じだったためよく話すようになりました。
私自身も後天性ではありますが神経症のため、それを生かしたく福祉の勉強をしており、
それもあり仲間としても彼女と接しています。
正直彼女は学力面の条件緩和はないこと、会話はできること、記憶力がしっかりしてることから
「障害はあるけど、一生懸命頑張っていて一般人と同じ立場の人、
いわば障碍者のなかのエリート」という認識でした。
だからこそ、彼女が最重度の障害だった、と聞いたときは失礼ながら驚いた記憶があります。
実際彼女自身、「本当にそんなに重いの?」「まさか重1級だったなんて」といわれた事は数知れないようで、
自分は理解されてない、と思ってしまうときもあるようです。
裏返せば努力の証、一般人よりすごいってことでもある、と話したら
「私さんも、実は神経症だなんてわからなかった、同じことだね」と納得しつつ、
ポジティブにとらえられるようにはなったようです。
実際とても負けず嫌いで努力家なので、その性格が彼女を強くしてくれてるのだな、と思っています。
彼女は今、就職するか進学するか、とても悩んでいます。
支援や給費があるとはいえ豊かな環境はないことはわかってか
就職のための活動もおこないつつ論文(院に入学するための勉強)をかいてます。
車椅子前提であること、これがかなり制限になるため
疲労しないように複数企業が集まるセミナーを選ばないといけないこと、
介助者をつけてくれるところなんて稀、介助者を自分で用意しても重度は断られる場合も多い
(環境的に難しい、と企業が判断してしまうようです)そうです。
しかし細かく動けないだけで、彼女はESも自力で書き、企業説明をしっかりきき、
自分にあっているかも判断できる子です。
また介助が必要な環境でそだったからか連絡疎通はかなりしっかりできる子です。
連絡疎通は健常者でもできない人は多くいる中、
彼女は本当に車椅子でPC作業しかできないだけでかなり苦労しています。
彼女といると、障がい、ってなんなのだろう。そう思います。
障がいで悩む点をフォローしたり、意欲を引き出してあげることが
もしかしたら大事な支援なのかもしれません。