私は今から5年ほど前に、バイクの自損事故で身体障害者になりました。
自損事故でしたが、その事故で右足大腿部切断・左腕上肢切断になりました。
原因はスピードの出し過ぎで、カーブを曲がりきれず、
コンクリートの壁にぶつかりました。
半年ほどの入院でリハビリを行い、大腿義足での歩行訓練後退院し、
それから通院で能動義手のリハビリを行いました。
半年もの長期入院と上肢下肢切断だった為、症状固定の判定を主治医がしてくれたので、
入院中に障害者手帳を取得する事ができました。
手続きは家族が、全てしてくれました。
退院後はバリアフリーのマンションを購入し、一人暮らしで生活しています。
障害者手帳は膝上欠損の4級と、上腕1/2欠損の合算で2種2級ですが、
年金は1級相当で貰っています。
住んでいる神戸市では福祉パスを支給してくれるので、
そのパスで市営交通機関は無料になります。
市内ですと、阪神・阪急バス、神姫バスも無料で乗れます。
市営の施設(博物館・動物園)は無料で、兵庫県立美術館は介助者1名と共に半額料金になります。
障害者になってからは、それまでの趣味とは180度変わり、
障害者になるまではバイクやヨットレースなどのスポーツ系の趣味でしたが、
今は音楽や写真などの文化系の趣味を楽しんでいます。
映画館も1000円で鑑賞出来るのがいいですね。
福祉器具は使用していないのですが、日常生活で困るのは、大きい荷物が持て無いとこですね。
一人暮らしなので、机やソファの移動の時は苦労します。
それから、右足に義足を使用する様になってから、
左膝関節を痛めてしまい、階段の上り下りが辛くなりました。
障害者に成った直後は、暫く無職でした。
年金は1級相当で貰ってはいるのですが、流石にそれだけでは生活が出来なくなり、
去年から就職活動を始めました。
当初は障害者枠の一般企業で探していたのですが、
50代の就職活動は厳しく、去年末に、就労継続支援A型の会社で働き出しました。
主にPCを使った業務です。
障害を持った方へのアドバイスとしては、兎に角前向きに生きる事です。
私は左が義手で右手に杖を使用していたので、
雨が降ると傘が差せない等の理由で、当初は余り外出もしませんでした。
友達もバイク関係やヨットの友人が多かった為、付き合いも限られていましたね。
ですが、今では他の趣味の友人が増えました。
元々音楽が好きで、ちょくちょくライブハウスにも出向いていたのですが、
写真を趣味にしてからはライブ撮影が増え、
それを通じてプロのミュージシャンとの交流が増え、友人が一杯出来ました。
ライブハウスの入口は階段が多く、上り下りに苦労しますけどね。
身体に障害を持っても、何か少しでもきっかけを作って、外出する事をお薦めします。
特に健常者の方と交流して欲しいです。
昔に比べて障害者への理解が深まりましたが、まだまだ理解が足りないと思う場面に遭遇します。
障害を持つと、「今まで出来ていた事が出来ない」と言うギャップに悩みますが、
逆にそれを逆手に取って、周りの人達に甘えてみるのも楽しいですよ。
岡田通孝
私も五十代後半2種4級障害者です。まけないぞ。リハビリがんばりすぎて2級相当から4級にさてしまいました。障害者年金なしです。でも絶対に負けないぞ!
みか
リハビリによる回復、すごいですね。たくさん頑張られたのでしょうね^ – ^
私は4歳の時の交通事故により、5級の軽度身体障害を持っています。(現27歳)
側からみるとあまりわからない程度ですが、やはり周りが羨ましいなぁと思うことも。
しかし、身体障害を負ったからならではの学びもたくさんあります。いろんな経験ができるので、ひとの相談に乗る際、いろんなケースに共感を示すことができます。悔しいこともたくさんあるけれど、もっと強く生きなければと思っております。
おふく
私は左足大腿部二分の一以上の欠損で十センチ程度しか残っていません
14歳で骨髄炎になり17歳で切断しました
その間の松葉づえでの生活が両手がふさがり不自由でしたので、役に立たなくなった左足をほとんど切断し松葉づえから解放され、義足生活になったときは自由になれた気がしてせいせいし嬉しかったものです。
なので遊んできた友達は健常者ばかり、親友も健常者です
しかし今50歳を超えほしいのは障碍者の友達です
健常者にはわからない悩みを言い合いたい
義足で困ることあるあるを言い合って笑いあいたい
健常者と遊ぶことで知らず知らずに感情的にも肉体的にも、無理をしてきた事ってあるよね、と分かち合いたい
健常者の友達もいいけど、同じ障害を持つ友達がほしいと今では思います