私の母方の祖父、祖母は聴覚障害者です。
二人とも完全に両耳が聞こえない状態であり、言葉も喋ることができません。
そのため、耳が聞こえない人と接するのは私にとって当たり前のことでした。
私は子供の頃、祖父、祖母の家でお留守番することが多々ありました。
当時の私は「どうしておじいちゃんとおばあちゃんは喋ることができないのだろう」と思っており、
それが耳が聞こえないことによる障害だとわかりませんでした。
そのため、まともに会話することが出来ずにすごく迷惑と苦労をかけたと思います。
私はどんどん成長していくにつれその障害について理解できるようになり、
どうにかして会話を出来るようにしようとしました。
母親はおもに手話を使って会話をしていましたが、
私はまだ手話を覚えるのが難しいと思ったのでまずは筆談からやってみようと思いました。
筆談を始めた結果、初めて祖母や祖父の考えていることが分かり、
自分の言いたいことをきちんと伝えることが出来ました。
高校生になると今度は少しずつですが、相手に伝わるような「なんちゃって手話」を覚えました。
これは、きちんとした手話ではなく手話と手で形を作ることを合わせて相手に物事を伝えることです。
このような方法で、年齢を重ねるにつれて祖父や祖母きちんと会話できるようになりました。
ここからは私の祖父や祖母についてのことや聴覚障害尾について書きたいと思います。
私の祖父は理髪店をやっていました。
祖母が住んでいる町では聴覚障害者が理髪店の集まりなどがありました。
私はこの話を聞いて、聴覚障害者の人たちはみんな自分のために社会のために
これだけの人たちが苦労しているんだなと思いました。
そして、障害に負けずに必死に頑張っているんだなと思いました。
そんな祖父も数年前に亡くなってしまいました。
私は祖父が亡くなったときに始めて祖父がどのような人生を送ってきたのかを知りました。
それは耳が聞こえなくても祖母と結婚し、私の母と母の姉をきちんと育てて、
無くなる1年前まで理髪店を頑張って営業していたことです。
私は重い障害を抱えてもきちんと立派に生きてきた祖父を誇りに思っています。
現在、祖母は地元のローカルテレビの手話講座に出演してテレビで手話を教えています。
祖父が亡くなったときはかなり落ち込んでいましたが、
今では市の聴覚障害者の会合の代表にもなり、テレビの収録や会合など精一杯頑張っています。
障害を抱えても頑張っている祖父と祖母の姿は私にとって頑張ることとは何かを教えてくれました。
私も障害を抱えて困っている人がいたらその人の目線になって助けられるように頑張りたいです。