古い話ですので、ご参考程度にお読みいただけると幸いです。
私の父は、左半身が麻痺していました。
幼少の頃、ポリオに侵され左の腕と左足が麻痺してしまいました。
大人になってからも筋肉がつくことなく、腕と足の太さは左右全く違いました。
しかし、父は大学卒業後に、養護学校の教員になり以後定年退職まで勤め上げました。
左手は軽いものを持つ程度の事は出来ましたが、ほとんど右手で日常のことは行っていました。
また、養護学校には車いすの生徒などもいましたので車いすを持ち上げたり、
生徒を抱えたりなどという力仕事も全て右手で行っていました。
父は、障害者手帳を持っておりましたので、バスや観光地などの入場料が半額になったり
高速道路の料金なども安くなったりしていましたので、その制度は大いに喜んでいました。
しかし、「俺は障害者だから」というようなネガティブな事はあまり言っていなかったので、
私は父を誇りに思います。
そして、養護学校の教員である父が良く言っていたことは、
健常者の方の理解があまりなく、障害を持っている人は生きにくいのではないかということでした。
さらには、健常者の方が障害者の事を理解しようとするあまり必要以上にケアをしようしとしたり、
必要以上に心の奥まで踏み込んでくることも多いということも悩んでおりました。
障害があっても、日常的に一人で行っていることはありますので、
もしサポートしたいと思うのであれば「何をしたらいい?」
と本人に聞いてから行うべきだと持論を申しておりました。
また、今はどこまで進んでいるのか不明ですが、
障害がある生徒も就職出来ると言うことです。
父の生徒は、銀行、床屋、バイクの修理、工場などに勤める事が出来ていました。
また、結婚もして出産された方もいらっしゃいます。
そこまでたどり着くのには、やはり周りの理解と努力があってこそだとは思いますが、
父の願いは普通の人とあまり変わらない生活が出来ると言うことでしたので、
生徒の近況を聞くたびに嬉しがっていた事を思い出します。
現在、日本の普通学校では障害者の生徒さんと健常者の生徒さんの教室がばらばらだと思います。
その為に小さいころからそのような人達の事が浸透するスピードが遅いかもしれないと思っています。
私がアメリカに留学した時は、障害の度合いにもよるのかと思いますが
肢体不自由の生徒さんが健常者の生徒さんと同じ教室で授業を受けていました。
そのような環境が小学校から続いていると生徒さんも仰っていましたので、
車いすを押すことが当たり前、学校や公共施設の設備が整っている事も当たり前だそうです。
そして、普通に必要なことだけをケアできる様子を見て感動したことを覚えています。
障害者を父に持って嫌な思いをしたことはありませんし、
父もみんなが平等に生活できる環境を望んでおりました。
学校を卒業してからの雇用や生活環境がより整備されて住みやすい環境になることを今も願っています。