身体障害者と分かってから現在の自分

私が初めて障害を持っていると指摘されたのは、

保育園の年長クラスの頃で、

運動会の整列をするときに、前に習えと言われしてみると、

左腕が徐々に下がっていくことから、

保育園の先生が親にその旨を伝え、病院に行くことを進められ、

市民病院にかかったときに病気の事を説明されました。

 

私自身はまだ保育園に通うような年齢だったので、

事態の大きさには気づく事はありませんでした。

 

しかし親が病院の先生に深刻な顔をして話をしているのを見ていると

僕は他の人とは違うのかな、位の認識でしかありませんでした。

 

そして月日が立ち小学校に上った時には、

自分の体が、人よりも動かないという現実に絶望を覚えました。

 

それから3年後(小学3年生)の頃、腕に違和感を感じ始めるようになりました。

初めにかかった病院に行きましたが、原因が分からないと言われ、

たらい回しにされ大学病院に行くことになりました。

 

その大学病院では、筋ジストロフィーという筋肉の細胞が失われていく病気で、

筋ジストロフィーの事を日本で一番知っている先生を紹介されました。

その時は、「筋ジストロフィーと思われます。」と言われました。

 

当時の私自身その病名の事を全く分かっていませんでした。

親が凄く泣いておりとても大きな病気なのかなぁ、と思いました。

 

そして、病名をはっきりさせるために筋肉の細胞を採る手術を行い、

検査した結果筋肉の細胞に隙間が所々に見えていたので

病名は堅甲上腕型筋ジストロフィーとなりました。

 

筋ジストロフィーの治療法や改善薬がなく、そのまま年に1、2回受診していました。

しかし病院に通院しても改善されない所から、ジストニアという病名に代わりました。

 

この病気は筋肉の拘縮がメインの病気で、

私はこのままでは喋る事も出来なくなってしまうと言われ、大型の手術に挑みました。

それは脳に電極を付ける手術です。

やはりそのような大きな手術に恐怖感はありましたが、

少しでも自分の病気が改善されるのならと思い、覚悟を決めて手術に挑みました。

 

8時間に及ぶ大手術でしたが、手術は成功して、

今現在は自分自身の足で歩く事も出来るようになり、

車椅子での生活から解放されるようになりました。

 

今私は身体障碍者の作業所で働くことも出来るようになり、

そこで友人なども増え楽しく前向きに自分の人生を見直す事が出来るようになりました。

この難病の知見者であるドクターと知り合えたことで、

人生が前向きになり家族にも笑顔が戻ってきたのが私自身もうれしいです。



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