健康だった時代に見えなかった(見ようとしなかった?)世界。

私自身が身体障がい者と実感させてくれたのは、

この「障害者手帳」を受給するにあたって、

主治医から「まずは、これからの事を考えないとね。」と言われた時でした。

 

自分でいうのもなんですが、私は、営業職をしていて、「誰にも負けたくない」という性格の持ち主でした。

20代で幹部職員研修に行ったりと、周囲の人からは、前途有望な社員と思われていたと思います。

 

それまでに何度か、持病で入院はしていましたが、

その年の冬はとても寒く、年越しの初詣に行こうと準備をしていた時に倒れました。

苦しくなって「救急車呼んで!」と家族に叫んだところまでは鮮明に覚えています。

そして、目が覚めた時には春になっており、桜の花がもうそろそろ散ろうとしている頃でした。

 

そして、1~2年程経ち、私の病気にとっては、

専門分野の医師がいるといわれている病院に迎え入れられました。

その先生は、まだ、20代の私に向かって、リハビリを主にさせて頂き、

社会復帰を目指させようと好きなことを自由にさせてくれました。

しかし、私は、まだ、歩けませんでしたので、車いすでの生活でした。

 

ある時、思ったことがあります。

「なんで、私なんかなー。」と。

 

それは、今でもフッとした瞬間、思いますが、高校時代の友人が言って聞かせてくれます。

「神様があなたに与えた試練なのよ。」

「神様は克服できない試練は与えないからね、大丈夫よ。」と。

 

その友人とは今でも、遊びに来てくれたり、2人でどこかに行ったりとしていますが、

彼女は、結婚をしてその結婚式にも出られずに、

でも、その旦那様がまた、良い方で、「いつでも遊びに来ていいから。」と言ってくれます。

 

主治医の先生と出会って、もうかれこれ25年位経ちます。

あの時、先生が障害者手帳の申請をすると言われた時、

多分、自分の中に「障害者」という小さな偏見があったのだと思います。

それまでには、車いすで生活している方とか所謂、

今、私みたいな「障害者」の方に関わった事が無かったからだと思います。

 

25年の時を経て、障害者へのいたわる気持ちを持った方が、多くなってきたと思います。

それには、小・中学校でのボランティア活動などを始め、

様々な活動している方々がいらっしゃるのではないでしょうか。

報道関係も同様です。

 

そして、障害を持った方も前に前にと出てき始めました。

素晴らしいことだと思います。

 

私も障害を持った方のお手伝いは、出来ませんが、

自分の出来る事を模索しながら、私の出来ない事を手伝って頂ける方がいらっしゃれば、

遠慮なく甘えて、感謝を忘れないように日々、生きていきたいと思います。

将来的に不安がないとは言えませんが、何とか生きていく希望が出てきた今時代です。



身体障害者手帳 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL