私の父親は身体障碍者です。
まだ、約20年前私が生まれたばかりのころに
スキー事故でドクターヘリで運ばれました。
足を切断するかしないかの瀬戸際で足を切ることはなかったものの
ボルトで固定しているため、今でも足を曲げることはできなく、片目の視力を失いました。
私が小さいころから親子で参加する運動会や行事等には参加してくれ、
足が曲がらないなか懸命に走ろうとしてくれていたのを今でも覚えています。
日常生活の中でも片目しか見えないため距離感覚が少しずれることや、
椅子に座る際に足を広げてしまい
電車などで他人に迷惑をかけてしまうことを気にしている父の姿を
幼少期ながら見ていたことを覚えています。
父の事故当時のことは、まだ赤ちゃんだった自分はわからないのですが、
手術回数7回、入院5か月、仕事復帰まで1年半の期間を費やしたと話しに聞きました。
普通の人と遜色なく歩けるようになるまでに大変なリハビリをしたこと、
片目が見えないことによる苦労など話でしか聞いてはいませんが大変な苦労だったと思います。
今となってはそんな父親を尊敬しています。
しかし、子供時代には友達から
父親の片目が見えないこと、走り方が変なこと、
キャッチボールをする際のボールの投げ方が変なことをからかわれ、
小学校高学年~中学生時代には父親を避けていました。
一緒に歩くことを拒んだり、キャッチボールをすることを拒否したり、
いわゆる反抗期の時代はそんな父親を恥ずかしいと感じることがありました。
そんな自分も高校生になり野球を続け怪我などに苦しんだ時期がありました。
そんなときに父親はもっと大変な思いをしていたんだ。
自分の怪我なんてちっとも大したことじゃないと父親の偉大さを思い知りました。
その後、大学に進み障碍者スポーツのボランティアスタッフとして、
障害者のサポートをしたことがあります。
その時に驚いたのは、ハンディを感じさせない障害者の方たちの姿です。
私が担当したのは障害者サッカーで、足の自由が利かない方や、
片足しかないかたが”クラッチ”と呼ばれるスティック状の棒を突きながらボールを蹴るものでした。
実際に私も体験させてもらったのですが、
見た目以上に難しくボールをけるのに一苦労、
5分間のミニゲームで息がきれ、障碍者の方たちに全くついていくことができませんでした。
障害というハンデを負いながらも障碍者の方たちはそれを全く感じさせなく、常に笑顔でした。
そんな姿は私の父の姿と重なり、障害者の父親を恥ずかしく思っていた当時の自分が恥ずかしくなりました。
今となっては、世界で一番尊敬できる父親です。