母は、兄が一人、叔母が一人います。
叔母は私が物心ついた時からすでに重度の身体障害者でした。
自分で言葉をしゃべることができません。
「あー」「うー」など言葉にならない声を発するだけです。
祖母の家を訪れると、いつも布団を敷いている部屋で寝ています。
自分でたって座ることができないからです。
「小さいときは自分で座っていた」と私の母は言っていました。
けれど、祖母は、叔母を外に連れていったり、
リハビリに通わせるといったことをついにしなかったのでした。
それで、寝たきり状態になっていってしまったのだと。
祖母は、妊娠初期に一度子供を亡くしてしまい、
そのことがショックで叔母のケアなどできる状態になかったのだろう、
と私の母はのちに言っていました。
叔母はよくヤクルトの入れ物を握っていました。
「こうしてあげると喜ぶ」と祖母が言っていました。
叔母はそうやって一日中、ヤクルトの入れ物の口を手で弄んでいました。
その姿はまるで大きな赤ん坊のようでした。
叔母は、以前は車いすで近所に散歩によく出かけていたようです。
けれど、祖父も祖母も、老体で出かけるのが億劫になってくると、
その機会も段々に減ってきたのだろうと思われます。
玄関には、たたんでしまわれてある車いすがゴロンと壁に立てかけてありました。
「もっと、出かければいいのにな」と幼心によくそれを見て思いました。
何年も外出しない叔母の肌はシミもしわもなく、実際の年齢よりずいぶん若く見えました。
叔母は、外との接触はほぼないといっていいくらい、出かけませんでした。
唯一、テレビだけは外の世界を教えてくれていました。
叔母は音楽番組が大好きで、テレビに合わせてよく手拍子を打っていました。
叔母だけではなく、祖父も祖母もあまり出かけない人でした。
私が幼いころは、近所の公園にも連れて行ってもらえたし、
お店でお菓子やおもちゃを買ってもらったこともあります。
けれどその思い出も一度くらいしか思い出せません。
それくらい出かけない人たちでした。
叔母がこの状態で大変そうだったのですが、
なかでも一番苦労したのがお風呂に入れる時だったと思います。
叔母は、体は普通の大人くらい大きいので、叔父は持ち上げるのも一苦労していました。
その時は車いすで移動していたのを何度か見ています。
今では、祖父も祖母も他界してしまっています。
祖母は最後まで、叔母を気にかけていました。
叔母は施設に入り、いまでも元気に暮らしています。