先天生の難聴ですが、気付いたのは遅かったようです。
2・3歳から優秀な先生に言葉を指導してもらって喋れるようになり、
一般の幼稚園、小・中・高校に通い短大を卒業しました。
勉強ばかりさせられていたために、夜のテレビは見せてくれませんでした。
友達とのコミュニケーションがもう一つでした。
今思えば、周囲はコマーシャルの話が多かったと思います。
聴覚の度合いが軽い自分でも、さっぱりでした。
人との会話には、殆ど問題はありませんでしたが、
テレビの音・声は、全くわかりませんでした。
今は、字幕が付いて有難いですね。
身体障がい者手帳を手に入れたのは、高校です。
もっと早くに申請していたら、早い時期に申請した時にわざと重くしておいたら、
医療手帳や福祉年金など一杯もらえただろうにと思いました。
これは、親の気持ちですが、子供が障がい者であることを認めたくなかったからですね。くやしいです。
結婚して、親と別居して色々分かったことですが、
等級によって水道代の補助や福祉用具を取得出来ないことに納得がいきませんでした。
同じ聴覚障害者でも等級は全然違う人から水道代が安くなるよとか、
インターフォン(呼び出し)に関する用具も申請出来るよと言われて、腹が立ちました。
こっちは申請出来ないことを理解してもらえないのも、ストレスを感じました。
医療費が500円で済む人も多いし、腹が立ちます。
こっちは、年間数十万支払っています。
同じ障がい者でありながら、この違いは何?って、思います。
身体障害者手帳を持ってる意味がないように思えてきます。
使える所は、限られてきますが、そこはしっかり使わせてもらっています。
仕事面では、一番最初に働いた職場は、特別扱いは一切なく、健常者と同様に働きました。
同期や先輩にも恵まれていました。
今でも先輩や同期と連絡を取っています。
ただ、同じ職場に自分より重い聴覚障害者が3人いました。3人とも先輩です。
3人のうち2人は、同じチームでした。
入社して直ぐに、手話を教えていただきました。
社会人になって初めての手話でした。
それまでは、手話には抵抗がありました。
でも聴覚障害の先輩に手話を教えて貰ってからは、堂々と手話を使えるようになりました。
それは、良かったと思います。
自分の性格は、内向的でしたので、手話のおかげでオープンになったと思っています。
今は、転職して、聴覚障害者は、自分ひとりです。
4年目に直属上司が変わりました。
その直属上司は厄介だったために、病気になり通院しています。
普通なら辞めるでしょうが、仕事の内容が気に入っていたため辞めたくなかったので、我慢しました。
ですが、その上司は、私が聴覚障害者であることに妬み?を持っていたのと、
上司の性格にも問題があったというのもあり(健常者である同僚も嫌っていました)、訴えました。
その上司の上司数人が対応して頂きました。
自分の直属上司は、2年ほどかかりましたが、やっと気づいたようです。
だからといって、その直属上司とは、深入りはしないようにしています。
それは上司だけでなく、同僚もです。
情報ですが、友達欲しさに仕事をしている障がい者がいました。
職場は、友達探しをするところではありません。生活をするために働くのです。
やりがいを感じることも大事です。