「障がい者」になってもうまく生きていける

 

私が脳出血の原因で身体に障害を持って10年になる者です。

術後は全く記憶がなく、記憶がはっきりしているのは、

脳に出血した血を取り除く手術してから、3か月後のリハビリ病院に移った頃でした。

その時に怪我の原因も病名も知りました。

 

病名は「脳硬膜下血腫」で手術した病院は「九州中央病院」でした。

筋力低下が原因で声が出ない事もあってリハビリ病院では、ST(言語聴覚師)のリハビリも受けました。

リハビリ医師には、脳障害による「高次機能障害」があると言われて、

リハビリでは、身体に残っている麻痺のリハビリはもちろん行って記憶力のリハビリも行いました。

そのリハビリ病院を退院して通院に変わることが決まってから、

県が行うリハビリテーション施設(県リハ)がある聞きその施設に通いました。

 

その施設に通う目的は、「交通機関の利用が出来るようになる。」という事でした。

その時は入院していたリハビリ病院を退院していたので、障がい者手帳の手続きが出来ていた。

ので、その手帳を使って交通機関を使って県リハに通った。

 

その交通機関を使う訓練をしたのは1年後でした。

県リハに通所の初めは親に車で送り向かいをしてもらっていて、

何度か県リハの訓練で交通機関を使う訓練を行った後に、電車、バスで通う事を始めました。

電車はJRで、その時知ったのがJRは100Km以上ではないと、割引が効かないという事でした。

駅からのバスは割引が効くので良かったと思った。

 

県リハに通所を始めてから1年がたち交通費のお金が苦しいと思ったので、

割引が効くバスで行ける方法がないかインターネットで調べたらバスのみで行ける方法が分かったが、

時間がかかる事が分かった。

時間を取るかお金を取るか迷ったので、県リハに行く時は、

時間に間に合わないといけないという事もあったので、電車で向かうようにして、

帰りは時間に余裕があるのでバスで帰るようにしました。

今、考えると、「ここまで考える力が付いたのだなぁ。」と思った。

 

交通機関を使えるようになったので、

いろいろなところに割引が距離が関係なく割引ができるバスで遊びに行くようになりました。

その遊びを1年ほど続けたらこのように思いました。

「仕事しないとなぁ。」と思いました。

 

私は元フィットネスインストラクターとパーソナルトレーニングの分野で

整体師(カイロプラクター)だったので、元勤めていた場所に相談に行きました。

そうしたら、「前回(障がいを持つ前)の売上の成績が良いので受け入れます。」と言う言葉をもらった。

条件付きで、「日曜日の週一回でお願いします。」と言われた。

その時の私は、平日はリハビリ病院や自分でリハビリをしていたので、調度よいと思った。

このような流れがスムーズに行けたのも福祉や医療の制度がしっかりしているからだと思った。

 

私は会社勤めする前は、国民年金などを払っていなかったので、

この怪我をする前にまとめて払っていなかった分を払っていたので、制度を受けれるようになった。

昔は「納めたお金は、国が使っていてもうお金がない」と考えていたが、

今は障がい者年金を頂いているので、「国は嘘はつかないなぁ。」と思い反省しました。

今でも麻痺が残っていますが、明るく楽しく過ごせています。有難いです。



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