身体障害のある妹を持って、私が経験した辛かったこと

私には障害のある妹がいます。

妹は産まれたときからすでに障害を持って産まれました。

病名のない病気でした。

具体的には忘れてしまったのですが、何番目かの染色体に異常があり

そのために障害を持って産まれてきたのだと言うことでした。

似た病気としてはダウン症などがあげられます。

なので、その病気の延長戦上とも言える、名前のない病気ということになります。

 

妹が産まれたのは、私がまだ小学生の頃でした。

その当時は、もともと体が弱かったこともあり、産まれてから半年以上は家に帰ることも出来ず、

病院のNICUに入院していました。

今でも覚えていますが、初めて持った妹であるにも関わらず、約半年は触れることもできず、

ガラス越しに様子を見ることしか出来ませんでした。

やはり、ばい菌などが入るといけないので、基本的には両親のみ中に入れることになっていました。

その当時はまだ現状を十分に把握できていませんでしたので、よく理解はしていませんでした。

 

では、私が今の妹をもって辛いなと思ったかというと、そういうことはありません。

確かに、医学の進歩はめざましいの何か新しい治療法が確立されて、

いつの日普通の兄弟みたいに妹と遊んだりしゃべったりできるといいなとは考えていましたが、

今となってはそれもさほど感じません。

別にあきらめているのではなく、障害を持っていること、

今妹はこのような姿なんだとしっかり自分の中で理解出来ているからです。

 

そんな中で私がとても経験して辛かったことがあります。

それは、妹が小学校に入学する頃のことです。

私の両親は小学校の先生でした。

別にだからと言って英才教育があった訳ではありませんが、

私の両親は普通の小学校に妹を入れることを希望していました。

確かに、妹は障害があり他の子供みたいにコミュニケーションを図ったり、

しゃべることすら出来ないのが現状です。

 

個人的にはそれでも普通の小学校に入って欲しいなと思っていました。

なぜかという、障害児というのは存在することにも意味があるのです。

自分達とは違う人がクラスにいるだけで、子供達はいろいろなことを考えます。

しかも子供というのは純粋にものごとを考えます。

大人とは違ってわがままはすごいですが、ずる賢さは何もありません。

そんな小さな子供にとって、学校で障害のある同級生と接するということは、

絶対に人世にとって利益となるはずです。

 

結局、小学校に入る許可は出ませんでした。

当時の養護学校に通うことになりました。

現在では名前も変更になり、特別支援学校などと呼ばれることもあります。

私はなぜその様な子が小学校にいたらだめなだろうと感じました。

私にとって経験した辛いことの1つでした。



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