高体連の公式戦にチャレンジした下半身不随の生徒

忘れられないチャレンジャーのことを書きます。

高校で仕事をしていた私は、たまたま卓球部の顧問として、暑い体育館の中にいました

そこに、車椅子を押されてきた選手がいたのです。

 

ある商業高校の生徒でした。

どのような事情なのかわかりませんが、彼はひざから下がないのです。

普通だったら、現在でいう「特別支援学校の高等部」に通うほどの大きな障害です。

 

今にして思えば、高校に上がる直前か、上がってから、

何らかの事情でひざから下を失ってしまったのだろう、と思います。

それでも、卓球が心から好きだったんでしょうね。

ちゃんと他のメンバーと練習もして、車椅子でも公式戦に出てくるのです。

 

まだ卓球がマイナーなスポーツだった時期です。

「女子にもてたいからやるスポーツ」などではないスポーツです。

卓球を本気で好きでなければ、部活なんかに入らないはずです。

しかも、苦戦を強いられるのを覚悟で、高体連の公式戦に参加する、

その強い気持ちに驚かされました。

 

試合が始まると、車椅子を押していた付き添いの人は離れなければなりません。

ボール拾いのために、それなりに近くにはいるのですが、

試合が始まれば、彼はひとりで戦わなければなりません。

 

大きく動きがとれない選手なので、戦型はおのずと決まってきます。

台からの位置取りは、50センチくらいになるでしょうか。

シェイクハンドのラケットの片面に裏ソフト、もう一方の面に粒高ソフトを貼ります。

裏ソフトは回転がよくかかるので、おもにサービスを打つ時や、スマッシュの時に使います。

粒高ソフトは、回転を自らしかけることはできません。

スピードもあまり出せません。

しかし、ラケットに当てられれば、相手の回転を生かして変化球を出すことができるので、

相手を幻惑させることができます。

おもに、粒高ソフトを使って、ラリーに何とか持ち込み、

相手のミスを待つ、というスタイルで戦うことになります。

 

もしかして、車椅子に乗る前の彼は、もっと違ったスタイルで卓球をやっていたのかもしれません。

それでも卓球をやりたい、と強く思ったのでしょう。

彼にとって、卓球があったことで、前に進んでいけたのかもしれません。

 

試合で当たった相手の選手は、とてもとまどっていたことでしょう。

でも、相手の選手もスポーツマンシップをきちんと守って、

車椅子の選手がとれないような、台の横へ飛び出すボールを繰り出します。

強いスマッシュも打っていました。

初戦敗退です。

でも、下半身不随で高体連の公式戦に出場する勇気には圧倒されました。

 

おそらく、街の体育館も、徐々にバリアフリー化していることと思います。

彼のあのときのチャレンジは、いまも続いていると信じます。



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