障害を持ちながらも社会と戦う人々へ

私は片目失明という障害を持っています。

この障害の厄介なところはもう片方の視力が少しでもあると障害者手帳が交付されないという所にあります。

詳しくは長くなるのでインターネットなどで基準を調べていただければ分かると思いますが、

現在この状態で苦しんでいる人間は多数います。

 

現在私は、就職し結婚をし子供も授かり順調な人生を歩んでいますが、

ここまでの道のりは決して平坦なものではなく険しい道のりでした。

 

日本の社会には障害者手帳以外にも生活保護などのセイフティーネットがありますが、

私は一度もそれらを頼ろうとは思いませんでした。

それは私自身が周りと同じでいたいと強く思っていたことであり、

それを貫き通した現在は自分自身に自信を持っています。

 

私以外にも様々な障害を持ちながら福祉に頼らず

健常者の社会で生きようと戦っている人達が多くいるとは思いますし、

そういった人達と接する機会は今まで少なからずありました。

 

彼らの多くは私と1時間も接するとこう尋ねてきます。

「なぜ貴方は障害を持っているのにそんなに強いのか」と

私は決して強くはいない、むしろ社会的に見れば障害者枠に入ることのない身体に不自由のある人間です。

でも健常者の人と同じように認めて欲しく同じように生きようと決めて一般社会に飛び込みました。

それは自分で選んだ道であり、誰に決められた事でもないわけです。

そんな自分が道に躓いたときに己の障害を言い訳にしていいものでしょうか?

 

「私は障害者だから他の人と同じように出来ない事があるけれども

他の人と同じように接してくれないと困る」というセリフと

「私はお金が無いけど、お金を沢山払っている人と同じサービスをしてくれないと困る」

この二つは向けている方向は違えど根本は一緒です。

 

障害者を受け入れるセーフティーネットもお金が無い人を受け入れるお店もあるわけです。

誰に頼まれてもいないのに急にやってきた人間が言い出しても周りからは甘えとしかとられません。

厳しいけれどそんな社会に飛び込んだ時点で受け入れるべき事があると私は思います。

だけれどもその逆境にめげず小さな一歩を積み重ねていった時に多くの人に認められ、

健常者の人達と同じように接してもらえるのです。

 

障害の大小は様々ですが不可能な事を求めてくるほど社会は捨てたものではありません。

私は就職にいたるまでに書類選考に100回近く落ち、受けた面接も50回以上ですが、

転職を2回重ねています。

落ちるたび小さな改善を繰り返した結果、大きなリターンを得ただけです。

 

障害を持ちながらも戦うと決めた人に私は言いたい。

人並みの歩幅で歩けないならその50倍歩数を重ねれば、誰よりも遠くに踏み出せる。

自分をもう少しだけ信じることからはじめようと



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