父の難聴

私の父は難聴です。

全く聴こえないのですが、振動を感じるためだけの補聴器を使用しています。

 

現在、私は22歳となり父の難聴に対して理解できるようになりましたが

小学生の頃はそれがとても悔しくて何度も父を責めました。

 

私は歌が音楽が幼い頃から好きで、ギターやピアノを一日中弾いているような時もありました。

しかし、父には聴こえません。

父は振動で分かると言いますが、私は振動ではなくてこの綺麗な音を伝えたくて必死でした。

 

色で描いたり、顔で表現したり。

どんなに父に音を伝えようとしても、父のリズムは少し私が感じるリズムと違うようで

父に対してなぜ、耳が聴こえないのか責めたことがあります。

小学2年の頃だったと思います。

 

私は、もちろん父と話すときは手話でした。

父は手話でしか、話をすることができません。

それを、小学生の頃に友達から悪い意味ではありませんでしたが

障害者の子どもだと言われたことがきっかけで父が難聴であることを気にし始めました。

 

私は父は特別で、聴こえなくても音を感じることができる、

音を見ることができる人だと友達に伝えたら、それは振動や色であって音ではないと否定されました。

それが原因で友達と喧嘩しました。

 

家に帰ると悔しくて、とても悔しくて部屋に閉じこもって泣いていました。

すると、父が仕事から帰ってるく音が聴こえました。

私は父の顔をみることができませんでした。

なぜなら、父が原因で友達と喧嘩をしましたなんて恥ずかしくて言えなかったからです。

 

喧嘩のことは母から父に伝わったようで、父は私の部屋に入ってきました。

もちろん、父は怒ってなんかいません。

しかし、私は喧嘩したことは悪いことだから

父から怒られるに決まっていると父の顔を見ようともしませんでした。

父がどんなに喋りかけようとしても、私が目を塞いだままでは父は話をすることができません。

父は諦めたようで、すぐに部屋から出て行きました。

このことが、きっかけで私と父は話をしなくなりました。本当に些細なことです。

 

父は、感情豊かな人ではなかったので口数も少なく

私は父に嫌われたと小学2年の頃から中学3年の8年間も思っていました。

その間、あの時の喧嘩のことを両親と話したことはありません。

 

私が高校に進学するときに、初めてあの時の喧嘩の事を父から「ありがとう」と言われました。

なぜ、今さら、そんな事を、言うのかと問うと

ずっと言いたかったけど、喧嘩の事になると私が目を塞いで言えずにいた

と言われました。

こんなに、耳が聴こえないためにこんなに些細なことで8年間も父との関係を塞いできたようでショックでした。

 

それがあって、私は医療職となった今、

耳が聴こえなくても、聴こえていてもみんなでコミュニケーションが図れるようにと

聴こえと言葉について勉強しています。



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