人工骨をいれることで

身体障害者なのは、私の実の母親です。

障害者手帳を貰ってからかれこれ20年以上経ちます。

 

勿論障害があるのですから、身体が不自由なのは確かにそうなのですが、

何と言うか、私の母はとても逞しくて、すこしも落ち込むことも無く元気に働いておりました。

 

股関節に、人工骨を入れております。

最初は右、二度目の手術で左、それから数年後にもう一度両方に入れなおす手術を行いました。

人工骨を生身の股関節にはめているので、どうしても生身の骨のほうが細ってしまうのだそうです。

そのために、数年に一度は手術が必要なんだとか。

 

そんなわけで、私が小学生だったころからほんの数年前にいたるまでの、

20年余りの間に、母は4回もの手術とリハビリを繰り返しました。

 

しかし、母はいつでも元気で、病室では御飯もおやつも差し入れももりもり食べているし、

リハビリセンターでは「お局様」みたいに大きな顔をして威張っているし。

「いちいち落ち込んじゃいられないんだよ。」が口癖で、

退院すればまたすぐに働きに出て私と兄を育て上げてくれました。

 

障害者手帳を貰ったから、車買うとき税金が安くなるよ、とか。

障害者手帳で、どこでも路上駐車できちゃうよ、とか。

仕事も障害者だから、そういう人でも出来るいい仕事をまわしてもらってるんだよ、とか。

 

母の口から出る言葉はいつもポジティブなものでした。

まるで、障害者になったから「お得ですよ」と言っているかのように。

 

最初の手術の時のことは、私はとても小さかったので余りよく覚えていません。

ただ、職場から病院に搬送されたのだということなので、とてもおおごとだったのでしょう。

父が早くに亡くなった為に、母は無理して働いて身体を壊すに至っていたわけです。

母は立ち上がることも出来なかったのだとか。

 

「あのねぇ、痛くは無いんだけどね、力が全然入んないんだよ。」と、

足を悪くしたときの事を言っていた母は、

痛みが少なかったからこそ、あんなに元気だったのかもしれません。

 

早く退院して、またいっぱい働くからね、と、見舞いに来た私や兄に手を振っていた母は、

その言葉通り、退院して間もなくまたもとの職場へ復帰していきました。

 

今現在は年齢を重ねたために、職場も引退し、実家で悠々自適に過ごしております。

とはいいつつも、息子やお嫁さん、そして孫のお小遣いのために、

シルバーで働きに出ようかな、などと言っているパワフルなおばあちゃんになりました。

 

少しだけ耳が遠くなったとはいえ、相変わらず元気な母は、

私の娘にも達筆な字で手紙を書いてくれて、誕生日にはケーキを買って訪ねてきてくれます。

「はい、おばあちゃん。おばあちゃんにはこれが必要なんだよね。」と、

私の娘である孫が専用の杖を差し出すと、嬉しそうに目を細めて笑います。

 

80を過ぎた今でも、杖をつきながら元気に歩く母の姿を見て、

障害者とは思えないような力強さを感じています。



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