聴こえない子が産まれたら

もし、耳が聴こえない子が産まれたらどうしますか?

悲観しますか?絶望しますか?

 

「息子さんは耳が聴こえていないようです。」

私は長男を出産後、数日で障害児の母になりました。

信じられませんでした。

悲しくて申し訳なくて退院まで1日の大半を泣いて過ごしていたような気がします。

 

耳が聴こえることが当たり前の私にとって、聴こえないことは可哀想なことだと思っていました。

補聴器をつけ、普通の子として保育園に入れましたが、

重度の聴覚障害の息子にとって楽しい環境ではありませんでした。

その時の息子の写真は悲しそうな顔はのものばかりで、今見返しても目を背けたくなります。

毎日息子の辛い顔を目の当たりにして、

これではいけない、親としてできることは何か、

夫婦で毎日話し合いました。

 

主人の提案で聾学校の見学に行きました。

聾学校は支援学校で始めは抵抗がありました。

しかし、手話を使っている生き生きとした子供達を見て、

息子を笑顔にしてくれる場所はここかもしれないと思い幼稚部への入学を決めました。

 

入学して息子はものすごいスピードで手話を覚えていきました。

私達家族も必死で手話の勉強をしました。

年少の終わり頃になるとニコニコ笑顔でお友達と手話で会話をするようになりました。

発音指導のかいもあり、年中の今では音声での言葉も沢山喋れるようになりました。

性格も打って変わって明るくなり、やんちゃで活発な子に変わりました。

 

なにより同じ聴覚障害の友達ができたこと、

聴覚障害のことをよく理解してくれる専門の先生がいること、

息子にとってはもちろんのこと私達家族にとっても大変な強みになりました。

 

息子は聴こえないことすら楽しんでいます。

先生に隠れて友達と手話で悪口を言ったりしています。

私が怒っていると、こっそり補聴器を外したりしています。

自分が聴こえないんだということをよく理解していて、

さらに楽しんでいる子供達を見て

やっぱり自分の物差しで測っていてはいけないなと実感しました。

 

聴こえないことは可哀想なこと、それは聴こえる人の物差しです。

聴こえない人は聴こえないことが普通なのです。

 

聾学校で明るさを取り戻した息子を見て思うことは、

どんな状況でも楽しむことができる人間が最強だということ。

障害に関わらず、苦しい時、悲しい時、楽しい時、

お金があってもなくても楽しめる人間が最強だということ。

 

子供は正直です。

楽しくない時も楽しい時も顔に出ます。

障害を隠すのではなく、障害のある自分を認め胸を張ること。

息子は「僕は耳が悪い。でも目はいいよ。

お母さんは耳は聴こえるけど目が悪いからメガネなんだね。

お父さんは顔が悪いね。あはは。」と言っています。

その言葉に尽きると思っています。

 

本人も親も障害を認め、その子が楽しい日々を送れるよう

胸を張って生きていくことが大事だと思います。



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