障害者になってもやる気が大事

私は、2006年にボクシングをしていて

ボクシングの練習の帰りに頭が痛くなり救急車を呼び

病院で手術してもらって左側に麻痺が残る身体障害者です。

今年の9月で身体障害者になって、11年になります。

 

入院中は、声も出なかったのと左手足に麻痺があって、

「これからどうしようか・・・。」

といつも悩みながらリハビリをしていました。

 

元々、仕事はスポーツクラブでのウエイトマシーンのやり方や

スタジオでボクササイズなどを指導しながら、

パーソナルトレーニング(ストレッチ)という分野では

整体師(カイロプラクター)として働いていました。

 

リハビリ病院を退院したのは2008年で、普通は数カ月で退院しないといけないのですが、

私の主治医に約3か月に1度ある診断で診断書に「回復の見込みあり」と書いてもらっていたらしく、

2006年11月にリハビリ病院に入院をして

2008年4月に退院して、

約2年リハビリの為にリハビリ病院に入院が出来ました。

 

初めは声も出なくてST(言語聴覚)のリハビリとPT(理学療法)のリハビリを中心に行っていました。

OT(作業療法)はその時点ではリハビリの回数は

PT(理学療法)やST(言語聴覚)のリハビリと比べると少なかったです。

 

恐らく私の考えでは、「医師は、手の回復は難しい」と考えていたのかもしれません。

2008年4月にリハビリ病院を退院して、そのリハビリ病院への通院が始まりました。

その時はまだ、バスや電車に乗れなかったので、

私は「福岡県リハビリテーションセンター」と言う場所に訓練(リハビリ)をやりに週に3回通所していました。

そのほかの日の1日は病院に通院してリハビリをその他の日は、

リハビリ病院の横にそのリハビリ病院が運営するメディカルフィットネスが出来て

そこへ運動(自主リハビリ)を行ないに行っていました。

 

そのような生活をしていて障がいを持って7年目になって、

「身体の回復はもう限界かなぁ。」と思い

「そろそろ仕事をしなくてはいけないなぁ。」と感じ始めました。

 

初めは、スポーツクラブで整体師として働いていたので、

その務めていたスポーツクラブとの契約が週に1回だけ取れたので、

その1日は一生懸命お客様に整体(カイロプラクティック)の施術を行っていました。

私が施術する整体(カイロプラクティック)の呼び込みを行っている時にお客様の声を頂いて、

その内容は「身体が動きずらい方にマッサージしてもらうのは・・・ね。」と言う声を頂きました。

 

その時、私は考え方が変わりました。

「お客様が信用できないのでは、絶対に整体(カイロプラクティック)の仕事をするのは、無理だなぁ。

整体(カイロプラクティック)やマッサージはお互いの信頼がたいせつだからなぁ。」と思いました。

 

私は「身体を大きく動かさない仕事とは何か」と考えて、デスクワークと言う考えになりました。

そこで、私はどんな仕事でも資格が重要だという考えなので、

MOS(マイクロ・オフィス・スペシャリスト)の資格を勉強しに

パソコン教室に入会して資格試験を受かるようにしました。

ワードとエクセルの試験を受けて、合格しました。

 

今でもそうですが、右手しか使えないので「ブラインドタッチ」は出来ないので、

謙譲の頃と比べると入力スピードは遅いですが、何とか仕事をこなせています。

いつも「諦めないで、やればできる・・・。」と言う言葉と

「挑戦」という事を思いながら仕事や今後の人生にに打ち込んでいます。



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